UnderLifeWear

滅LINEで東京からすっ飛んできてくれた妹の話

滅LINE=遺言

何十回も希死念慮にとらわれたことがあるのに、こういうLINEを打とうと思ったのは初めてだった。

 

しんどすぎて「今めっちゃ泣いて車でうずくまってる~」みたいなLINEを妹に送ったことはあっても、遺言的なことをしようと思ったことはなかった。

 

でもその日はなんだか違った。夫と話をしながら(もう何を言ってもダメだな。死ななきゃ、死ななきゃ)と思った。

 

寝室から出てキッチンのタイルの上に毛布をもってうずくまった。いつものようにワーワー泣くんじゃなくてはらはらと泣いた。頭はぼーっとしていた。

 

夜中の1時半。水と薬を目の前に置いた。

 

妹にメールをした後、薬を飲む算段を考えた。そして寝てしまった。

 

 

* * * * * * * 

 

 

夫の「こんなとこで寝ないでよ」という冷めた声が聞こえて、(あ、死んでない)と気付きさっと薬を毛布の中に隠した。

 

大事な薬を取り上げられたら困るし、ばれたらまたキレられると思ったからだ。

 

ぼーっとしたまま、子どもたちを学校や園へ送り出した。

妹、帰郷する。

妹は夜中のメールに気付かず、朝「え?!」という返信がきていた。

 

なんて返そうか一瞬迷ったけど、素直に「死のうとしたけど死ねなかった」と返した。

 

人騒がせでかまってちゃんみたいなLINEを送ってしまったな、と思ったけどかまって欲しくてLINEしたわけじゃなかったからそこまで申し訳なさはなかった。

 

すると妹から「そっちに帰る」という連絡がきた。

 

少し驚いたし心配をかけてしまったと思ったが、今思うとこのときから私は少しおかしくて、妹のLINEを見てもあまり心が動かず「大変だからいいよ」と断った。

 

結局、妹はその日の夜地元に帰ってきてくれ、私を見るなり「…よかった」と泣き出した。

 

そんな状況なのに、私はなぜか現実味がなくて、へらへらと妹を見て笑った。

妹、泣き出す。

夜は11時を過ぎていて、そんな時間にも関わらず妹は東京から帰ってきてくれた。フリーランスの仕事とはいえ、週の半ばに突然帰郷するというのは調整も準備も大変だっただろう。

 

妹に会ったのは昨年秋以来だったから、久しぶりに会えて嬉しい気持ちはもちろんあったが、妹が泣くほど憔悴していたとは思わなかった。

 

いや実際は「あんなメールしたから心配で来てくれた」とわかっていたけど「自分が死ぬことはそんな大したことではない」と思っていたから妹がそこまで心配してくれたのが不思議だった。

 

妹は「なにがあったの」ということは聞なかった。ただ私の好物のパイナップルケーキとマリア―ジュの紅茶を買ってきてくれて、今日何をしていたか話してくれた。

 

そして妹は私に、「もっと自分の幸せを第一に考えていい」と言った。

 

私は一見普通に妹の話を聞いていたが、自分の違和感には気付いていた。何かおかしい、現実が現実でないような、違和感。

 

“自分のことなのにどこか他人事のように見てしまう”というこの状態をAIに尋ねると、AIは今の私を「感情のフラット化」「解離」と表現した。

「感情のフラット化」「解離」

心が限界を迎えて強いストレスに晒されているとき、人間の脳は自分を守るために、一時的に感情のスイッチをオフにしたり、現実感を麻痺させたりする防衛反応を起こすことがあるという。

 

感情が完全にゼロになるのではなく、普通に生活できる一方で「自分の身に起きたこと」や「他人の強い感情(妹の涙や心配)」をリアルに受け止めるだけのエネルギーが、今の私には残っていないのでは、と。

 

心のブレーカーが落ちている

つらい出来事によって、心に過電流が流れた。

 

脳が「これ以上ショックを受けたら壊れてしまう」と判断し強制的にブレーカーを落とした状態。

妹の感情を受け止める余裕がない

他人の涙や心配という「強い感情のエネルギー」と受け止めるには、本来たくさんの心のパワーが必要なのだという。

 

今は自分の心を守るだけで精一杯なため、入ってくる情報を脳が自動的にシャットアウト(解離)している。

麻痺という麻酔

「解離」って虐待を受けている子が自分を守るためにやるやつだよなと思うと、なんだか大袈裟な気がした。

 

でも確かにふわーとしていて、脳が思考をとめているような感覚はわからないでもない。

 

 妹が突如帰ってきたので姉も慌てて帰省してくれたのだが、さすがに申し訳ない気持ちもあり2人に事情を説明した。

 

確かにそう言われると、きっかけとなった出来事や過去の希死念慮の話をしても、思い出して涙ぐむようなことはなかった。脳って面白いね。

妹、虫採りをする。

妹と姉たちが来てまるまるフリーの日は、みんなで娘の希望のカメを探しに行った。結局見つからず、サワガニとカナヘビとカエルを捕獲した。

 

 

昨日は新宿でおしゃれな紙袋を両腕にさげていた妹の腕には、虫かごが二つぶら下げられていた。

 

 

「持ち手をもつとフタが外れちゃうかもしれないから下を持って!!」と子どもに叱られる妹。

 

そのあと妹が東京に戻ったので、お礼のLINEをした。お礼と、でもふわふわしていてごめん、と。

 

 

すると妹からはこんな返信がきた。

「私がしんどかった時にお姉ちゃんが大阪にすぐ来てくれて私が救われたからだよ!わたしも(何もできないけど)姉ちゃんがしんどいときはせめて側にいれたら、って思った!」

 

 

「会いに行ったのは姉ちゃんのため、ってよりもむしろ自分がやりたいことやれることをしただけだから、別にお礼やお詫びをする必要はないんだよ。」

さすがに、心が揺れた。


大阪というのは、妹が鬱になったときのことだ。もう15年くらい前の話。


私はすでに鬱になっていて、実家で療養していた。廃人期は抜けていたが、まだ療養中だった。


もう詳細は忘れたが、当時の妹の話を聞いて「こりゃ妹も鬱だぞ」と。


私は急いで新幹線に乗り込み、妹のところに行った。妹の会社へ事情を説明し、休めるよう手配した。



私はお節介な人間だ。人の為と思うと無駄にがんばってしまう。それ自体は悪いことではないが、報われることはそう多くはない。


単純に私が思うほど相手は困ってなかったりそこまでやってほしいと思っていないこともあるし


誰にも迷惑をかけず全体の利益を考えて動いた結果、ワンマンプレーととられ一部の人間からバッシングにあったこともあって、さずがにあれには驚いたな。


ま、妹もそういうタイプなのだが。


だから今になってそれが返ってくるなんてことは想像もしていなかった。


別に見返りが欲しくてやったわけではないし、妹がそんなことを恩に感じているなんて思いもしなかったが妹は私を大切に思ってくれていた。

さいごに

「あなたを最後まで見捨てない人がいる、という事を忘れないでね。必ず見方でいるから」

妹が人に言われたことをそのまま伝えてくれたけど、やっぱり今の私にはピンとこなかった。


死のうとしたときに省みられる想像をしたことがない。このタイミングで死んだら、死んでも夫に批判されるんじゃないかとは思ったりするが。


70代以上の母たちの代に言わせると子どもを置いて死ぬなんて信じられないらしいが、子どもを産んだら自分で死ぬ選択まで批判されるのかと思うと口の中で苦虫の味がする。


一種の解離状態は、時間がたてば治っていくと主治医に言われた。今回はその記録として。



おしまい

モバイルバージョンを終了