今日はちょっと真面目な話をひとつ。
私が悩み苦しみながら3人目を産んだのは2022年だった。
2022年、奇しくもその年はアメリカの連邦最高裁が「中絶の権利は憲法で保障されている」とした1974年の判決を覆した歴史的な年だった。
(ちなみに当時の妊娠に関する記事はこちら)
3人目中絶を考えた女が産んだ今考えていること
私は妊娠中も出産してからもずっと、中絶に関する法律やニュースを追っていた。
なぜ私は私の権利を守れなかったのか。
鉛のように腹の底に鎮座し、事あるごとに底にこぞんだ塵を舞い上がらせては私を苦しめていたその正体をもっと深く知らなくては。
私は学生時代に、アメリカ合衆国では「憲法で中絶の権利が保障されている」ことを学んで知っていた。
それがなぜ今、女性の権利はあたりまえで今度はLGBTqの権利を、
と叫ばれる時代に覆ったのか不思議でならず、ネットでBBCの記事や外国人が書いた中絶の記事などを読み漁っていた。
でもなぜ今なのか、理由はなんなのか、
その答えを当時見つけることはできなかった。
政治的な流れとネットの意見。
政治的な流れとしてはアメリカのトランプ大統領が在任中、最高裁判所の9人の判事の“バランス”を崩したところにある。
アメリカの政党は共和党(保守・中絶反対)と 民主党(リベラル・中絶擁護)からなっているが、トランプ大統領は共和党である。
そしてアメリカの最高裁判所の判事は 保守(中絶反対)派と リベラル(中絶擁護)派に分かれ多数決で判断を行う。
トランプ大統領が在任中にこの最高裁判事の数を保守派6人、リベラル派3人に変えたことが今回の判決につながっている。
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中絶禁止法に対しては2019年ごろから州法で動きがあり、世界中の著名人たちが猛反対の意思表示をした。
マドンナやミシェルオバマ、リゾetc。
そしてそれを見た日本のネットの反応は
「宗教的な問題が絡んでるから日本人には理解しにくいよね」
こういった声であふれていたように思う。
中絶禁止法の根底にあるのは結局「女性差別」。
中絶禁止は宗教の問題だ、と片づけてしまうことに私は少し疑問をもった。
過去アメリカでは「中絶反対!」と訴えた人たちが中絶可能な病院を襲い、ついには医師の殺人事件まで起こしている(2009年)。
「新しい命を守れ!」と叫びながら人を殺す、という圧倒的な矛盾はつまるところ、
女性が権利を主張することに嫌悪感をもつ人たちの「鬱憤ばらし」に過ぎないように思えたのだ。
こんな時代に女性差別?そんな幼稚で安易な考えをアメリカ様が本当にするのか?
と疑問に思うが、実際に2022年に判決は覆った。
これは再度アメリカの成り立ちを勉強するといいかもしれない、とかろうじてとってあった大学時代の資料と、こちらを読んでみました。
白人男性が至上のアメリカでは、その下に白人女性。
さらにその下に黒人男性。最下層が黒人女性となる。
そもそもアメリカ合衆国の建国時に黒人は奴隷として連れてこられた存在だ。
白人男性にとって黒人男性が成り上がることは許されざることで、
黒人男性が白人女性を侍らすなんて耐えられないという歪んだモラハラ思考が本当に存在しているというのが衝撃だった。
「人種と性」の問題は、裁判にまで発展している(1991、1994年アニタ・ヒル件、O.Jシンプソン事件)。
このモラハラ思考は、中絶という権利を女性に与えないことで自らの優位性を保とうとする。
中絶という「男性から享受されたタネを拒絶」し、「女性自身の人生を歩む」などと謳う権利。
…と思考を巡らせていて、これは行きすぎた発想なのかなと思いとどまった。
とてもフェミでしょうか苦笑。
中絶を特に必要とするレイプ、DV、近親相姦といった緊急性の高いものは社会的弱者の女性に多く、出産することで経済的にさらに困窮することは目に見えている。
(アメリカでは3人に1人の女性が45歳までに中絶を経験するという。その中で貧困ライン以下の女性の中絶率は、中所得層の女性の4倍以上だ。)
また中絶反対派が守りたいのは「新しい命」、しいては「女性」だというけれど、それならばなぜ中絶以外の方法で守ることを考えられないのかとも思う。
例えば低所得者の出産に関する費用の補助や医療的ケアなど。
中絶禁止を叫ぶよりやるべきことはいくらもありそうなものなのに、それに関しては声をあげない(もしくは小さい)ところをみても
中絶を禁止したい本当の理由は、しょせん合理的な判断などできない女性が「自己決定権」などと知恵をつけて社会に進出することは認められないという差別意識。
そして「産むべき性」としての役割の強要なのだと私は考えている。
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これについてそんなに興味があるひとはいないだろうし、私のこんな考えがどうなるわけでもないのだが、
中絶に関する理解を深めるために私にとって必要なことだったので記事に残しました。
次回はもっと身近な、中絶という判断に悩み苦しむ人に寄り添う記事を書けたらと思います。
おわり