もうじきお茶と着付けを習って1年が
経とうとしているんだけど
お茶との出会いは大きかった。
そしてそれに続くように習い始めた着付け。
お茶に行くのに着付けができた方が
いいだろうと始めたけど
ずっとやってみたかった着付けまで
スルスルと繋がったのは本当に幸運なことだった。
今では週1の着付けとお茶が(ときどき面倒ではあるけど)
終わると心地よい達成感がある私の日常だ。
続けられることの大きな理由は2人の先生にある。
私が聞いた2人の人生を少し、話してみたいと思う。
わたしのお茶の先生。
四国で三人兄弟の長女として生まれた先生は
どうやらのびのびと育ったらしい。
母親のすすめでお茶とお花を習い始め
就職してからも関西で働きながらお稽古を続けた。
当時お茶を習っていること自体は花嫁修業の一環で
珍しくなかったと思うが、成人して環境が変わっても
続けている人は稀だったようだ。
関西で新しい先生のもとで習い始めたころ
まだ20代だというのに上の段階に行きませんかと
先生から誘われたことは
まわりの奥さま方の反感を買うことになる。
それでも「この先生は一度断ると二度と誘わないらしい」
という噂を耳にし、とりあえず面白いから好きだから
という理由でお稽古に励んでいた。

先生は就職して古い学生寮に住んでいたという。
そこで学生に請われて教えるようになったのが
初めて人に教えることになったきっかけだった。
そのときも自分にできるだろうかと
関西と四国の先生に尋ねたが
「やってみなさい」と背中を押され、
6畳ほどの小さな自室で試行錯誤しながら
無償で教え続けたという。
ご主人と出会ったのは当時の山ブームで
1人登山を楽しんでいたときのこと。
完全ニワカで臨んでいた山で出会い
何度か文通しながら登山で交流を深め、
東海地方に嫁いできた。
「今と違って、当時山に変な人はいなかったのよ。
山登りする人に悪い人はいないってね」
と笑う先生。
割愛するが、道に迷って助けてもらったり
なかなかドラマチックな出会いや交流で運命を感じる
お話だった。
嫁いでからもお茶とお花のお稽古は続けた。
ただ上の方まで許状を持ちながら習うことは
気軽に習いに来ている奥さま方に不評を買った。
子どもがいなかったこともあり
「遊んでばかりいるお嫁さん」と噂され肩身が狭かった。

ご主人は帰りの遅い、当時よくいた企業戦士だった。
お茶の研究会には所属していたが
(ある程度習得すると入らないといけないらしい)
先生はご主人第一という姿勢を貫いていたため
できないこと(行事ごとや担当があるもの)は
お断りしていたという。
「だから私、研究会で嫌われてるのよね」と笑っていた。
お稽古に通いづらくなり
それなら自宅で教えようかと気楽に考えるも
生徒集めを必死にやるタイプでもなかった。
そんなある日突然 “市民講座” の講師依頼が
舞い込む。
「子どももいないし、お稽古にもいかなかったら
ボケちゃうかもと思ってはじめた]と言う教室だが
いろんな生徒さんがいて戸惑うことも多かったという。
「でも勉強になったわ」と明るく話す先生。
市民講座に来る理由はさまざま。
一生懸命教えたら煙たがられることもあって
驚いたという。
「せっかく時間を作って来ているのに
何も教えてもらえないなんて
お金がもったいないじゃない、と私なら思うのよ」。
学ぶことがただ面白くて好きでここまできた
先生にとっては寝耳に水くらいの衝撃だったようだ。
「そこから私も学んだのよ。
あそこはお茶を飲みに来ているだけの人もいるし
お友達を作りに来ている人もいる。
それにたった数回の授業で
習得できることなんて少ないものね。
だからあんまりうるさく言わないで、
楽しくやれるように心がけてるの」。
―――そうは言っても、けっこう先生は
講座でいろいろ言っていた気がする(笑)。
一緒に受けていた生徒さんも
「この先生は細かく指導してくださる
丁寧な先生だよ」と。
だから先生の中ではあれでも言ってない
方なんだろう。
私の中ではそれがよかったんだけど。
私は頭が悪いし要領もよくないから
言ってくれるというのはすごく有難い。
あまりに私ができないから先生の言い方が
イライラしてるときもあるけどね(笑)。
「こんなこと昔の先生なら『自分で気づきなさい』
って絶対教えてくれなかったわよ」
とお稽古中に先生が口にされることがある。
きちんと教えてくれるというのは、
すごいことなのだ。

だから先生が忙しくなったのは実は
ご主人が定年されてから。
コロナもあったからやめようと思ったことも
何度もあったけど、縁あって今があると。
私もその一人で、市民講座に通っていたある日
講座の関連で電話をくれた先生に思い切って
「実は習いたいと思ってるんですけど先生に
個人的に教えてもらうことはできるんでしょうか…?」
と聞いたことがきっかけで
「じゃあ来週からいらっしゃい」とトントン拍子に
話が進んで今に至るのだ。
授業料は月3回で10,000円。入会金やお菓子代はなし。
時間は開始時間しか決まってなくて
だいたい1時間半~2時間半くらい、一対一。
1回3000円ちょっとと考えると実はそんなに
高くない(マンツーマンと考えると)。
というのもあるが、1年やってみて
本当に得難い時間を過ごさせてもらっていると
感じている。
教科書もなくお手本もなく、とにかく
先生の言われるままに手足を動かしているのだが
これらすべて口伝えで伝わってきたもの。
千利休からと考えると500年くらい?
ずっと口頭で伝えられてきたものが
今現代に生きる私に伝えられてるってすごい。
私は壮大な伝言ゲームの一員になったのだ。

私の先生の先生は明治生まれの方
だという。
故郷を離れてもずっとやり取りし、
関西の先生とも交流がずっとあった。
「私先生にとっても恵まれていたの。だから
こっちに来て変なこと言われて『今まで運が
良すぎたんだわ~』って思って」
と先生は笑います。
先生がよく言っているのが
「休まないことが大事。続けることが大事」
ということ。
「私、お稽古を休んだことないのよ。
それだけは自信があったの」。
そしてもうひとつ
「見えないところでもちゃんとなさい。
そういうところが見えるところに現れてくるから」。
だから片付けのときも意識して茶巾をしぼるし
茶筅を洗い終わったらお点前のように最後
手を止める。
これを続けていたら、先生はそれを気付いて
くれる人な気がしている。
先日、子どものお迎えの都合で
早く帰らなくてはいけない日があった。
すると先生は事前に準備してくださっていて、
すぐお稽古できるように整えてくださっていた。
すごいのはここじゃない。
帰る時間になったら
「じゃあ片付けはちゃんとしてくださいね」
と片付けをさせるのだ。
準備はもちろん大事だ。
でも大切なのは使い終わったものに感謝して
片付けること、自分のためじゃなく
次に使う人が気持ちよく使えるように
後始末をすることなのだ。
私は先生のこういうところが好きで
ついていきたいと思う。
けど片付けしてたら予定の時間が過ぎて
お迎えに遅れたんだけどね(笑)。
長くなったので着付けの先生の話は次回。
おわり。