先日妹から「モデルの仕事が2件決まった」という報告があった。
まじかよすげーな。
たしかに妹は独特な雰囲気あるもんな。年を重ねて雰囲気にさらに説得力がでている気もする。
去年から髪色白くしたり金や青やピンク、志茂田景樹さん化しているせいもあるかもしれない。
すげーなすげーなと思った翌日、私は子ども会の仕事で公園のトイレ掃除を1人していた(1つしかないトイレで担当が順番にまわってくる)。
そこまで古いトイレじゃないが壁の汚れが気になる…。ええい、豆ピカしかないがこすろう、と、ぼこぼこしていて汚れが落ちにくい壁と格闘して汗だくだった。
役員さんは適当でいいと言っていたけどトイレが汚いと治安が悪くなるイメージもあるし子どものためだ……まぁ、この公園ショボすぎて子ども全然来ないんだけど。人が来なさすぎて草もボーボーだし。
最終的にドメスト的なものがないと落ちない汚れも気になって、翌日自宅から持参したドメストを振りまいてサッと公園をあとにした私、デキる。
…東京でモデル仕事を獲得した妹とは雲泥の差に悲哀を感じるも、掃除してきた私を妹が手放しで褒めてくれる。
「掃除はいい!!氣が良くなるからね!素晴らしいよ!!!」と。
「氣」って書いてるとこがスピっぽいんだけど優しさの塊か、とお礼を言うと「え!本気で思ってるよ!」と眩しいほどの素直な返答が。
ピアス開きまくり美容整形にハマりまくりの妹なのに公園掃除をする姉を心から褒めてくれてほんといい子。泣く。
トイレ掃除から着物の話をする。
4月になると着たくなるこの着物。ちょっとだけ思い入れがある。
私の母は着物が好きでとても大切にしているのだが、とにかく大事にしすぎてめちゃくちゃ口うるさい。
着物を着たらすぐにクリーニングに持っていけと口を酸っぱくして言われているし(高いやつだけだけど)、着物で食事をするときはもう食欲なくなるくら面倒くさい。
着物を大切にするのは当然なことだ。使い捨てのファストファッションとは違うのだ。
しかしここまでいろいろ言われると「母がうるさいし面倒だから今回着物やめよ」と母が理由で着物を着たくなくなる。私は母に何も言われない自分の着物が欲しかった。
なんでそうなったか覚えていないが、20代のころ、母と着物のリサイクルショップに行ったことがあった。そこで見つけたのがこの着物。
当時その価値はわからなかったが、私の身長にあう長さがあって着れそうなのはこれだけだったので即決だった。価格は2000円也。
あとでこれが紬(つむぎ)の着物だと知った。昔の人はすごいよね。針仕事をすると糸が中途半端に残るじゃん。それを取っておいて、手がすいたときにそれを結んでいって糸に戻したものをまた着物や帯にする。
だから糸に結び目が残って、反物にすると独特な風合いが生まれる。ざっくり言うと紬というのはそういうものらしい。
「ハタ結びするのよ」と着付けの先生が仰っていた。ちょっとやってみたい。
この着物、そろそろ可愛すぎるだろうかと思ったけど着ていると褒められる。お茶の先生も、喫茶店の着物好きのお母さんも誉めてくれた。
喫茶店のお母さんは「私も若いときこういうのもっと着ればよかったわ~」と言っていた。
お茶もですが、着付けも週に一回勉強してマス。
「センスがある」ってよく言うじゃないですか。なんでもそう、センスがある人は初めてでも上手だと。
でもお茶の先生は言う。「確かにそういうことはあるけれど、センスのある初心者とあまりセンスがないけど何十年も続けてきた人だったら、何十年も続けてきた人にしかないものが確かにあるのよ」と。
私はどうやらお茶も着付けもセンスがない。いや別になくても仕方ないとは思ってる。好きでやってるんだからいいんだ。
お稽古ではいつも思う。お茶の先生も着付けの先生も、手が本当に美しい。
お茶の先生はもちろん指先まで美しい所作を学んできたのだけど、着付けの先生もその手でお客さんに触れるのだから、どうやったら不快に感じさせず美しく着せられるかを熟知している。
最低限の回数で整えていく所作には無駄がなく、くり返し同じことをしていく手は淀みなくいつ見ても一定のリズムがあって美しい。
「バネ指になっちゃって指が動かないのよ。年取るっていやよねぇ」と笑う先生だけど、その優しく着物を扱う手の動きをずっと見ていたいと私は思う。
私の手も、あんなふうになれるだろうか。無理だけどそれでも羨望のまなざしで見つめるあの時間を過ごすのはほかに代えがたいものがあると感じている。
私のお稽古はそんな感じ。
おしまい




