THE 昭和の教育で育てられた
このブログを運営している私たち姉妹は、元教師の両親からいわゆる「厳しく」育てられた。愛情を持って育てられた自覚はあるし恐怖を押し付けられことはない。
ただ、門限はべらぼうに早かったし躾に関してはいろいろ窮屈なことが多かった。
特に小さい頃に辛かったのが「出されたものをすべて食べ終わるまで食事が終えられないこと」だった。小学生低学年くらいまでは物理的に口に入れると嗚咽するレベルで食べられない食べ物が多かった。苦いピーマン、においがきつい人参、変な食感のナスなどは当時の私にとって苦痛だった。家庭によっては苦手なものを出さないなんていう神様のような親も存在するらしいが我が家にはそんな神は存在しなかった。
2歳差の姉も好き嫌いがあることは同様だった。歳が上なだけに我慢してさらりと食事を終えていくことも多かったが、そうでないものもあった。
私たちはときにはナスの煮物とわかめの酢の物の上に乗ったサクラエビを、洗い物仕事をし背を向けている母に見えないように机の下でトレードした。そして何食わぬ顔で食事を終えることがままあったのだ。
それも通用しないときには母には食事が終わったふりをし、こっそりと野菜を犬にあげたりもしていた。ひどい話ではあるけれど当時それくらい食べれないものを食べることが辛かった。
また、我が家では食事のときにはテレビを強制的に消された。親はテレビにより子どもの注意力が散漫になるのを嫌った。家族で会話をすることを大事にしたし、食事に集中することを促した(これは孫が生まれた今も続いている)。当時は見たいテレビが見れないことに不満はあったもののそういうものは習慣化すると何も感じなくなる。
そういう育てられ方をした子供はどう育ったのか
昨今の風潮だとどえらい子供が育つのでは?と思ってしまう人もいるかもしれない。
そういう姉妹がどう育ったかを一例として紹介したい。
まず学校生活における大きな割合、給食。ここに関して苦労したことはまったくない。もちろん嫌いなものが出ることもあったし、絶対食べられないものを残すこともなかったわけではない。ただ家庭に比べれば食べやすさを重視した給食の献立はスパルタ教育の下育ったわたしからしたらなんてことなかった。給食を残して掃除の時間まで粘る子たちを見てはいつも不思議な気持ちになっていた。(なんならおかわりとかしたいくらい大食いだし早食いだったけど恥ずかしくてできなかった。そういう自己主張ができる教育ではなかったらしい)
30歳を過ぎた現在の“好き嫌い”
ほぼない。
明確には「あるけど口に入れられないほど嫌いなものはほぼ無い」という表現が正しい。苦手でも口に入れてみる、試してみる努力をしようと思う。誰かが作ってもらったものを安易に残すという行為にはかなりの罪悪感を植え付けられて育った。なんかこう書くと無理してるようでマイナスイメージかもしれないが、個人的にこれに感謝している。
たった数十年生きているだけだけど、食べ物をたくさん食べて嫌われることってほぼないのだ(まぁただの大食いなのも影響してる)。なんなら「気持ちいい食べっぷりだ」と褒められるし、「今度もっといいものを食べさせてあげるね」と上司や歳上からかわいがられることも多い。大食いを除いても、一緒に食事していて不快感を与えていることではないということだと受け取っている。食事時に感じる不一致は「次もまたともに食事をとろう」という気持ちを萎えさせるものだと思う。
食の好き嫌いはあってもいい
最近つくづく思うけど、食とか酒とかたばことかどんな好き嫌いがあってもいいと思う。けど決して自分以外の趣味嗜好を持った誰かを否定したり下げたりすることをしてはいけないと感じる。誰も幸せにならないから。そしてマナー違反にだけ気をつけて人と気持ちよく食事をしたい。
いま、だいたいどこに行っても「ちゃんとしたご家庭で育てられたのね」と言ってもらえる(とはいえ私の箸の持ち方は若干変ではある、お父さんお母さんごめん)。そういう所作をいつの間にか教えられていたのだ。厳しくしてくれた親に本当に感謝している。
というもうじき古希を迎える老齢の親へのただの感謝の記事。おわり。