子どものころ、厳しかったわが家の食卓~平成の食育物語~

平成初期の食卓の話である・・。

和食中心、薄味の食卓で育つ。

祖母と同居のわが家は、祖母の食の好みに合わせて魚が出てくる割合の多い食卓だった。

 

そして定食スタイルを好む父のためにメインと一汁三菜が基本。

 

関西出身の母は薄味で出汁のうまみを引き立てるような味付けが得意で、料理にほとんど砂糖を使わなかった。

 

濃い味に慣れている人がうちの煮物を食べたら「味どこいった?」というレベルの薄味である。

 

そんな食卓なので毎日煮物やおひたしが登場するのだが、これが本当に厄介だった。

 

記憶に残る野菜のパレード。

まずい記憶ランキング堂々の1位は「小松菜の煮びたし」である。

 

小松菜……鉄分豊富でカルシウム満点、栄養たっぷりかなんか知らんがあいつは子ども心に許せなかった。

 

似た見た目のほうれん草なら何も思わない(たまにかたいけど)のだが、小松菜はとにかく苦かった。

 

一緒に合わせた油揚げで誤魔化せない苦さだ。

 

せめて甘辛く煮てくれたりすれば何とかなったかもしれないが、母がそんなことをするわけがなかった。

 

 

そしてとにかく、茎茎クキクキしている。

 

噛んでも噛んでも噛みちぎれない。

 

スジスジになった小松菜を一生懸命 口の中で咀嚼し「飲みこめ、飲みこめ、いまだ、いまだ…!」と大縄跳びになかなか入れない子どものように繰り返した。

 

子どもの記憶がそうさせているのか、当時は今より品質がイマイチだったのか。

 

わからない。

 

ただ今でもうちの三姉妹は小松菜が苦手だ。

* * * * * *

 

“茎茎クキクキ”で思いだされるのは、第2位に輝く「水菜の煮びたし」だ。

 

水菜……あいつも意味が分からなかった。

 

まずあれは草だ。

 

小松菜はかろうじて野菜だ。ほうれん草とかチンゲン菜とか、あれ系だ。

 

水菜は違う。多分あれは庭に生えてる雑草と同じ分類だ。

 

苦い、そしてかたい。

 

口にいれるとウサギにでもなったようなモシャモシャした感がある。

 

当時の水菜も小松菜と同じで今よりまずかった記憶がある。

 

自分の記憶がこれだから、これを子どもに無理に食べろとは言えないのである。

* * * * * *

 

「茄子の煮物」。

 

これも相当厄介だった。

 

べちょっとした茄子と人参とか、季節の野菜とちくわなんかを母はよく煮物にしていたが、子ども心にこの煮物祭りの食卓が嫌だった。

 

お友達のお弁当は品数は少なくても「お弁当然」としていた。

 

ご飯とブロッコリーとミニトマト、から揚げと卵焼きとか。

 

冷凍食品のカップもかわいく見えた。

 

対してわが家はお弁当にも煮物が入るから基本茶色かった。

 

それでもたまに入れてくれる冷凍グラタンは嬉しくて、もっと食べたいと思っていた。

 

食に関して豊かだったと記憶していて感謝しているが、かわいいものやつい食べたくなるようなものへの憧れがあった幼少期であった。

 

当然お残しは許しまへんでの世界

ぜっっっっったいにお残しは許されなかった。

すべて食べ終わるまで食事を終わらせてもらうことはできなかった。

 

われわれ三姉妹にとって夕食は戦いの場でもあったのだ。

 

どうやってあの苦い小松菜を口に入れるか。

 

あのかたい水菜を、色の悪いくたくたの茄子を、飲み込むか…!

 

わたしたち三姉妹は、夕食を終わらせるためさまざまな策を講じていた。

例えば、煮物と格闘する最中に来客があったら大チャンスだ!

 

母が玄関に行ったとわかると風のように椅子を滑りおり、煮物を三角コーナーの奥に追いやり何気ない顔で席に戻る。

 

これでバレたことはない。

 

 

それからテーブルの下で姉妹と密約を交わすこともあった。

 

母が洗い物をしてこちらに注意が向いていないことを確認すると、お互いが苦手なものをテーブルの下でそっとトレードするのだ。

 

ありがとう三姉妹。

 

そして三姉妹を産んでくれてありがとうお母さん。

 

 

他にはどうにも噛み切れない野菜をトイレに吐きに行ったこともある。

 

今思うと最低な行為だが、当時は必死だった。

 

一応噛み切れないところまで食べてはいたのだと思う。

 

というか、やっぱり母が怖くてすぐにこういう行動に移すのは難しかったので、一応食べてはいたのだ。

 

 

 

犬を飼いだしてからは、彼女(犬)のところに持っていって証拠隠滅を図ったりした。

 

基本口から吐き出していたような気もするのでごめんよ…。

 

いつも笑顔で受け止めてくれた彼女には感謝しかない。

そんな姉妹はどう育ったか。

母のスパルタ食育のおかげでうちの三姉妹は好き嫌いがほぼなく育った。

 

給食で食べられなくて困るということもなかった。

 

給食で出るものなんて、我が家で出される野菜たちに比べたらヘでもなかった。いやほんとに。

 

(妹は給食が大好きだったらしい)

 

黙ってなんでも食べるというのは、この歳になって大事なことだと思っている。

 

作ってくれた人に感謝しないといけないのだ。

 

お腹いっぱいで無理とか言って残すんじゃない。

 

もったいないぞ。失礼だぞ。

 

皆が気持ちよく過ごせるようにふるまい給え。

 

…こんな考え方は近年古くさいのだという自覚はある。

 

でもなんでも食べて残さず食べることはいいことだ。

 

そこは評価してほしい。

 

ちなみに私と姉には子どもがいる。

 

母の思いを受け継ぎさぞ立派なしつけをしているのだろうと思われるかもしれないが、そうは問屋が卸さなかった。

 

野菜なんか全然食べない。量も食べない。めっちゃ文句言う。

 

食育って難しい。

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