2024年振り返り。お茶と出会う。

2024年は私にとってどんな年だったかというと。

 

まず年明けに幼稚園の母の会で揉めた(笑)。

 

で、夏に10数年ぶりに仕事を始めたらそこでもまた揉めて、

 

あとはなんとか末っ子を保育園にいれることができました。

 

そんな1年でした。

 

揉めてわかったこと(^^)/

「お姉さん相当ヤバいやつだろ」と思ったあなた。

 

私もさすがに「私って思った以上にヤバいやつかもしれない」と思ったから

ヤバくないやつではないと思う。

 

しかも2回とも結局のところ相手に「こいつ気に食わねー」と

思われて排除されたところはあるんだからヤバいよね。

 

 

ただ私自身は母の会でも仕事でも

法的に、手続き的に瑕疵がないように調べ

 

“正しいことをいうときはなるべく小さな声でいう”

ように気を遣って気を遣ってやったんですよ。

 

けど結局

 

「仕事をぱっぱと進めてデキる風なこいつ癪に障るわ」

と思われて2回とも釘をさされた。

 

2024年、2回も言われたのがこの一言です、どうぞ。

「そんなに頑張らなくてもいいよ?」

母の会ではその年、もはや伝説と言われた大規模イベントをやって

保護者たちを疲弊させた役員に言われたので

 

「そっくりそのまま言い返してぇー(⌒∇⌒)」

 

と思いながらニコニコするしかなかった。

 

仕事ではこちらが金を払ってるクライアントだったが

 

説明やらなんやら足りなすぎて意味がわからず

いちいち確認せざるを得なかったのに、言われた。

 

「お前はもっとちゃんと仕事をやれ」と言い返したかった。

 

ほんとこの“心配してるフリをして釘をさすセリフ”って

なんなんだろうね。

 

母の会では『母の会の役員やりたい人いっぱいいるんだよ?』

という時代錯誤なセリフが飛び出したり、

 

会長なのに一言もしゃべらず無視するという

子供じみた態度の方もいたりで

 

「こいつらに反論したら負けだ」と思い反論せずに終わった。

 

仕事先では最終的に相手が論点をずらして

まくし立ててきたので担当から外れた。

 

 

 

 

 

どちらも私に至らぬところはあったと思う。

 

思うんだけど、いい大人がキレたり無視したりするのはあり得ないだろう。

イラっとしても態度には出さず譲歩しあったりするものだろう…普通は。

 

この2つの事件で、私はすっかり気落ちしてしまった。

 

どんなに自分が正しくても

 

結局「機嫌が悪くなった人の意見が優先される」という

案件に2回も出くわしてしまったからだ。

*後日幼稚園の園長から、当初私の意見に賛同したのに、

不機嫌な役員側に意見を翻したことに対し謝罪があった。

 

仕事の相手先からも「謝罪したい」旨の打診が数回あったが

「今後しっかり仕事してくれ」と回答して断った。

茶道に出会う。

2024年は末っ子が2歳になり、少しだけ気持ちに余裕ができた。

 

それをきっかけになんとなしに市民講座の「茶道初級」を

受講した。

 

時間が土曜の午後で夫がいること、月1で全6回程度の

講座だから気軽にやれるだろうと思ったのだ。

 

母は少しお茶を習っていてたまにお茶を点ててくれることはあったので

ずっと興味はあった。

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何年か前に友人の勧めでこれを読んで、

その中で「お茶は頭で考えてはいけない」というのがどこか

心に残っていた。

 

昨今のAI時代、人間が生き残る道はいかに「思考できるか」

にかかっていると言われている。

 

 

頭で考えず言われたことしかできない人間はますます淘汰され

きちんと考えて言葉にできることがますます重要になってくる

言われる時代に、「頭で考えてはいけない」とはどういうことなのか。

 

この頭でっかちで考えるの大好き人間で

考えすぎてうつ病になっちゃう人間の私に

 

お茶はうってつけかもしれないと思ったのだ。

一言でいうなら「しっくりきた」「水があった」。

講座一回目の時点で、私の中で衝撃が走った。

 

一体どんなふうに始まるのだろうとワクワクしていたら、

畳の上を歩くところから始まった先生の指導、これがすごい。

 

一歩踏み出す前の立ち上がる足の左右から向きから歩幅から

指導されるのだが、まるで意味がわからない。

 

大の大人たちが立ち上がるだけでちんぷんかんぷんで

ロボットのような動きで齷齪したかと思うと、言われているうちに

混乱し、とうとうフリーズする。

 

この間30秒ほどだと思う。

 

大げさじゃないかと思われるかもしれないが本当だ。

 

 

なにせ人生で立ち上がって足を踏み出すことに全神経を

集中させたことがある人間がいるだろうか。

 

思えばこのとき私は「これがやりたかった」と思ったかもしれない。

まだお茶を初めて数か月のペーペーのぺーの人間なので

本質的なことはわからないが、直観的に私が感じたことがある。

 

「まじめに正しく生きていこう」。

うつ病になったとき、事件に巻き込まれたとき、

私たち姉妹は助けてくれた友人や同僚、上司、家族に感謝してきた。

 

不器用な生き方しかできなくても、器用貧乏でも、

気を遣いすぎて勝手に疲れてしまっても、

 

この生き方をやめることはもうできないから

馬鹿にされてもまじめでいたいし、人に優しくありたいし、

 

馬鹿みたいな正義感でも正しいことをしていきたいと

ふたりで話したりしてきた。

 

まるでかっこいいことを言ってる風で書くと大げさなんだけど

つまり今の自分を肯定してあげたいと思ってきた。

 

 

私にとって茶道は―――まさに自分を肯定してくれるものだった。

 

お稽古をすると、自分が肯定されるような気持ちになるのだ。

 

 

 

茶道では、先生は座って口頭で教えてくださいます。

「まず袱紗をさばきます。左手で腰からとってすぐに右手で端をもって…」

 

本当にただ言われた通りにやるだけなのだ。

 

メモをとってはいけないし、これになんの意味があるのかと

思いながらも考える隙もなく何度も何度も同じことをくり返す。

 

ただその場で先生の指示通り、手の動きや足の動きに集中する。

 

季節の変化、おもてなしの心、そういうものを毎回少しずつ

その日の掛け軸や茶花で感じながらお稽古するのだが

 

まじめにコツコツとやることは間違っていないと

静かに教えてくれてるような気がするのだ。

 

私は先生のように心を尽くせる人になりたいし

そうありたい思うようになった。

 

 

私がしたことに誰が気付いてくれなくて

それがどんなに小さなことであろうと

私自身は気付ける人であろうと思う。

 

 

 

さて2025年は。

2025年は元旦にインフルエンザになった。

 

クリスマスから家族が罹り、結局1月の3連休あけるまで

わが家の冬休みは終わらなかった。

 

そして夫が先日子どもと調子にのってスケボーして

右肩亜脱臼みたいになった(アホ)。

 

「リハビリ室におじいちゃんしかいなくて

50肩の体操を教わってきました…」

 

と絶望して帰宅した夫に半笑いするしかない。

 

今年はお茶や庭いじりをずっと楽しむためにも

ストレッチや筋トレをして健康でいたいと思います。

 

抗うつ薬もそろそろ減らしたいし、一回シミ取り行くことにした!!

 

3姉妹で東京に遊びに行く計画もあるんだ。

 

機嫌よく生きていきたい。

 

おわり

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