【絵本】絵本界のノーベル賞受賞、ペクヒナワールドの魅力と魔力

賞金は日本円にして5000万円以上という超ビッグなタイトルを2020年にただ一人手にしたのが韓国の絵本作家・ペクヒナさん。まず絵が超強烈。内容も絵に負けず劣らず強烈・鮮烈。たっぷりのユーモアと優しさを合わせもつペクヒナワールドへ、恐がらずにどうぞみなさんも足を踏み入れてみてください。

ペク・ヒナ絵本作家

1971年、韓国ソウル生まれ。梨花女子大卒業後(女子大名門)、カリフォルニア芸術大学でアニメーションを学ぶ。人形制作、緻密なセットづくり、撮影までを一人でこなし、独特のファンタジー世界をつくり出す。数々の賞を獲得する、韓国で注目される絵本作家。1男1女の母。

まず絵がキッツい(笑)

出典:ブロンズ新社 「天女銭湯」より

表紙の絵にたじろいで手に取れない人も少なからずいると思う。私もその一人。

なんというか、絵本はやっぱり可愛い感じが好きなのだ。

単純に可愛かったり綺麗な絵柄の方が好みなので、なんとなくこの手の絵は

敬遠したくなる。

 

ちなみに彼女はスカルピー粘土という材料を使って人形作りから背景セット、

ライティングから撮影まで全部一人でこなすというから、私達が想像する

絵本作家とは明らかに違う。

 

その人形たちの表情がとにかく生き生き…というか目をひん剥いてたり

血走ってたりするから読者に強烈なインパクトを与える。

パパはリアルな青ヒゲだし距離近いわ!という表情だけじゃなく距離感までウザめな構図。

 

しかしこれがまた不思議で、媚を売らない全力な表情がだんだん愛おしくなり、息遣いまで聞こえてきそうと引き込まれるのだ。

 

 

 

おすすめは「あめだま」「ぼくは犬や」

 

〈あらすじ〉

ひとりぼっちで遊ぶドンドンは、ある日

駄菓子屋でビー玉みたいな色とりどりの

あめだまを手に入れる。口に入れると、

とつぜん、まわりの声が聞こえてきた!

物や人の心の声を聞くうちに、ドンドンの

心にも変化がおとずれて・・・。

 

 〈あらすじ〉

ひとはぼくを「グスリ」とよぶんや。

おとうちゃん、おばあちゃん、ドンドン、

近所に住むたくさんのきょうだいとグスリ

は今日も全力でつながります。

『あめだま』のグスリとドンドン、ちいさい頃のおはなし。

一番完成度が高いのはやはり「あめだま」かなと思う。

ページをめくると、思ってもみない展開が待ち受けていて思わず吹き出したり

ジーンとしたり。

 

ただ少し話が長い感じがするので、「ぼくは犬や」の方が2歳前のお子さんでも楽しめるかなと。

うちの2歳児と4歳児はこの2冊に大ハマりし、暗記するほど。

 

4歳児は謎の関西弁を話すようになり、幼稚園でちょっと浮いていました(本人は楽しいようなのでok)。

 

唯一無二。独創的なビジュアルと世界観

ペクヒナさんがビジュアルで一番大事にしているのは「ストーリーテリング」

だといいます。

この話を聞いて、私はなんだかやられた~という気持ちになりました。

まさに思惑通り笑。

 

つまり彼女が伝えたいことをより鮮明に相手に伝えるために、現実と夢の境界を感じさせる手法として3Dを選んだ。

そして粘土で作った人形の質感もすべて、効果的に伝える手段として計算されたものであるということ。

 

それも、読み手が見たこともないような鮮明なものを表しイメージさせているのだから、もうただただセンスの塊なんだな〜というセンスの欠片もない感想しかない。

 

千人いれば千通りの読み方やスピード、演技力があるように、一冊の絵本でどれだけ面白くお話が展開できるか。それは読み手の力量ではなく、作者のコントロール下にあった、だなんてちょっと驚いた…。

 

 

 

出典:ブロンズ新社 「天女銭湯」より

絵本における「オープンさ」の度合い

 

そしてもうひとつ、ストーリーテリングで重要なことは「オープンさ」と「愛」ではないかと。

 

「オープンさ」ってけっこう、絵本の核になるんじゃないかと思います。

読み手は子ども、という世界でどこまでさらけ出すか。

 

 

絵本を読んでいて時々うっすら感じる「バカにしやがって」みたいな気持ち。

可愛いものが好きでしょう?綺麗なものが好きでしょう?

楽しいばっかりがいいでしょう?

絵本の中でくらい、夢をみたいでしょう?

 

 

どこかに隠れるこんな作家や親の気持ち。

これは別に否定される気持ちではないけれど、どこかに隠しておきたいものが

あることに気付かされる。

 

現実を直視できない、したくないと思うのは防衛本能だし、取捨選択したい

大人の特権といえば特権だ。

 

個人的には、韓国の作家さんはこういう激しい気持ちというか日本人にはない

オープンさを持ち合わせていて、時々あっと驚かされるなーと思う。

10年以上前から通い続けるボローニャ国際絵本原画展でも何度かそんな気持ちになった。

 

ちなみに児童文学評論家の先生がこんな書評を載せていらっしゃいました。

 

作者の「愛」の表し方

 

もう一点「愛」という話。

 

作者の愛は読んだ人それぞれが感じるものだけど、私が感じた作者の愛の話。

 

「天女かあさん」「あめだま」「ぼくは犬や」、これらはなぜか親子関係が

いびつだ。

 

お母さんは離婚したのか居なかったり、シングルマザーっぽい描写だったり、

おばあちゃんも死別したのかなとか、はてなと思っていた。

 

しかしこれはペクヒナさんの意図なのだそう。

彼女は初めての作品で、お父さんとお母さんと姉と弟がいて、という

一般的な家族構成にしたことに負い目を感じていたという。

 

世の中には家族の誰かが欠けている世帯もたくさんある。

 

そういう人たちが絵本を手にとって子どもに読み聞かせたとき、子どもに

「すまないな」という気持ちになるのではないか、自分ならなる。

親にも子にも、傷付いて欲しくないと思ったのだと。

 

すべてのことに思いをはせてすべての人に優しいなんてことはありえない。

私は時々それができたらいいのにと夢みたいなことを思って勝手に心が苦しくなるのですが。

 

なので、そう思ってしまうような環境に身を置かないよう気をつけています。

防衛本能ですね。大人の特権ですね苦笑。)

 

彼女が伝えたいのは、いろんな家族がいるんだよってことじゃない。

どんな形でも家族だよ、ということ。

愛情で繋がれば家族だと。

 

絵本を読んで子どもに具体的な感想を求めることはまずしないけれど

こうやって少しずつ少しずつ、作者やキャラクターが示す愛情に触れて

大きくなって欲しいと、そんなふうに思う作品です。

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