ある夜のこと。
私「好きとかわいいとかは毎日でも言われたいんだよね」
夫「好き」
私「・・・」
夫「かわいい」
私「・・好きはともかくかわいいはなんか馬鹿にされてる気がするからやっぱやめて」
夫「いやわがまますぎるやろ」
さて、なぜ好きとかかわいいとか言われたいのかと言いますと、それはやはり相手からの好意をわかりやすく感じたいからであります。
育児や仕事に忙殺される日々の中で、たった一言特別な人にしか言わない言葉をもらったら「あ、私をちゃんと見てくれてる」という自己肯定感みたいなものを確認させてもらえる気がするのですよ。
これは性行為にも言えることで。
先日こんな漫画をさわりだけ読んだんですよね。
僕は春をひさぐ~女風セラピストの日常~ / 水谷緑
「恋人のような一時を買いませんか?」
女性用風俗……略して「女風」。ここ数年で増加の一途をたどる女性用風俗業界で働くセラピスト・悠。彼のところには性欲だけではなく、さまざまな目的で女性がやってくる。高齢処女であることを気にしているアラサー女子、シチュエーションプレイにハマる管理職の女性、出産後セックスレスになった共働きの妻。2時間2万5千円ものお金を払って、彼女たちは何を求めているのか? オトコとオンナ、おカネと性……あなたが知らない世界の心と体の物語。
漫画の中でセラピストの男性が、女性はイクことより大事にされていることを感じたいのだと言います。
私が妊娠中絶で悩んだとき、ネットで「大人なんだからセックスしたら子どもできるってわかるでしょ。困るならヤルなよ」「気持ちいいいことだけしたいとかサル以下かよ」的なコメントを目にしました。
それは最もなんですが、セックスってコミュニケーションの一環で愛を確認できるてっとり早い方法だと思ってる私はさすが中絶に悩む女って感じなのかしら、と。
優しく触れてもらったら大切にされてるんだって嬉しくなるし、自分を悦ばせたいと思って丁寧にしてくれたらその気持ちだけでまた嬉しいし、こんな姿さらしても自分を受け入れてくれるなんてめちゃくちゃ愛されてるとか思うし。
え、抱かれたくらいで脳内お花畑かなw
というか2人でしか(基本)できないから、相手がただひとり自分だけを見ていると確信できる行為でもあるよね(実は例の女のことを考えてて…みたいなオチはなしね)。
相手を思いやる行動は必ずしも直接的とは限らないから影で努力してくれてるのかもしれないけど、残念ながらどんなに自分が想ってても相手が気付かなければ伝わらないのだ。
男性セラピストが言うように、女性はとにかく異性に対して「大事にされている」ことを感じたい生き物で、それが悦びで、生きている証なのだ。
男性が風俗に求めているものとは全く違うんだね。
性差、脳のつくりが違うのか詳しいことはわからないけどこれだけは言える。
日本の女性をもっと大切にしてやってくれ。
これは自分の機嫌くらい自分でとれ、というのとは違って他者との関わりからしか得られない幸福が存在するという話。
してほしいことがあるなら女性も相応の…という話はひとまず置いておいて。
人間が社会を形成したのはひとりでは生きられない弱い生き物だからだ。
現代社会においてひとりで生きていくことはできても「ただ生を全うする以外の人の生」は本当のひとりでは叶えられないのだ。