義両親に学びたい毎日気持ちよく過ごせる会話術

なかなか難しいけど日々大事にしたいこと

うちの義両親。

村みたいな町に住むうちの義両親。

 

庭にシカとイノシシとキジが出る。

 

小学生はクマ除けのベルを持っている。

 

夏はベランダにホタルが来る。風流。

 

近所付き合いもエグい。近所はなにかしらの親戚ばかり。

 

そんな感じの関西方面の田舎に住んでいる義父はサラリーマン、義母は今はパート勤めの主婦(ともに65歳)をしている。

 

 

 

 

夫と付き合ってすぐにたまたま実家を訪れた際は、ウェルカムでアットホームすぎる父母の雰囲気に少々面食らった。

 

自分の実家家族も仲が良いと思っていたけど、ここはまたもっと朗らかな感じでいい家だな~(田舎らしく家もデカいし、義父もいい会社勤めだし悪くないなとかゲスいこと考えてた)なんて思っていた。

 

そんな義両親、出会ったころから15年くらい経つのだがその偉大さに今でも感動しちゃうし真似したいとも思うほどなのだ。

①相手が返答に困ることを言わない。

え、あたりまえだろ、と思われそうですが、いや果たしてそうなのか。

 

困ることというのは無理難題という意味ではないのですよ。

 

「最近体調悪くて食べられなくて。年かしら」

 

という例えばありきたりな会話のひとつでしょうが、こういう『そんなことないですよ待ち』の会話って疲れますよね。

 

けっこう年寄りにありがちな『肯定も否定もしにくいような話』を義両親はしない。

 

“これを言ったら相手は気を遣うかもしれない”ということを想定して話せるか。

 

社会人ならもちろんうまく受け流す術はあるけれど、こういう流れにはしないところ、好きです。

 

②とりあえず誉める

よく夫とも話すことなのだけど、他人なんて誉めておけばいいのだよ。

 

すごいねすごいね!って。減るもんじゃないんだから。

 

そういえば精神科医の本に昔の井戸端会議をするマダムたちの会話術はすごいってのがあって、あれは噂話や愚痴を言いつつ聞きつつだけれど、ひたすらに会話を問題なく続けるために深堀りしたりしない。

 

現代人にはこういう関係がないから良くない、みたいな話だった。

 

誰だったか、現代人に必要なのは親友や友人ではなく“茶飲み友達”だと言ってる人もいたけど、こう、会話をのらりくらりとするスキルをもつ人って意味ではむべなるかなって感じよね(意味的には気のおけない友人のことを言うみたいだけど)。

 

うちの親なんかの70歳過ぎの老人は謙遜の文化が根強い。

 

ちょっと子や孫を褒められると「いやでも最近こういうことばっかり言うのよねほんとに」と貶めることを言ったりする。

 

行きすぎなければそれが悪いわけではないんだけど、「そんなそんな~!お宅のお子さんなんてこの前立派にあいさつしくれて!」なんて適当に誉めておけばいいのだ。

 

誉めはだれも傷つかない。

 

③楽しいオチにもっていく

どんな会話でも。

 

基本 不穏な場所に着地させないのだ。

 

だからどんな失敗も。恥ずかしいことも。

 

「やだ可愛いわ~」「逆に天才だな!」「そんなん全然ええのんよ!」

 

絶対に否定しない。揚げ足を取ったり、茶化したりもしない。

 

 

今思えば、私の実家では恥の文化がとても強かったような気がする。

 

両親が古い考えの人たちだったので冗談とかも言わないし、恥ずかしいことをして叱られることもあった。

 

彼氏の話が一切できなかったのも、それは両親にとって恥ずかしいことだと思っていたからだ。

 

高校生のころ「変顔をする」ということに抵抗があったのも笑いを取りにいく文化が自分にはなかったのだ。

 

そんなことをしてもうちでは恥ずかしいからやめろと言われたと思う。

 

失敗を責められることはなかったと思うけど、「あーあ」という雰囲気は当然あったし、少なくとも「大丈夫大丈夫!」と言ってもらえる感じはなかった。

 

 

 

うちの夫は恥ずかしいと思うことが少ないように思う。

 

でも大人になった今ならわかる。

 

世の中、恥ずかしいことなんかほんっとに少ない。

 

人前で裸になるとか、そんなことくらいだ。

 

失敗して不機嫌になったり、怒ったり、そんなことする必要もない。

 

どれも本当にささいなこと、些末事なのだ。

 

そういうことに気付かせてくれる義両親は本当にすごい人たちだなと改めて思う。

③ゆっくり話す。優しく話す。

うちの3姉妹はどちらかというと早口だ。

 

そして語気も強い。冷たい言い方が3人ともとても上手だ(誉めてない)。

 

両親は決して早口ではないと思う。

 

父が語気を強めることは滅多にない論理的なタイプだが、母はうん、めっちゃある。

 

冷たい言い方は両親はしない。

 

けど“不機嫌な声”は2人とも出す。“がっかりした声”“嫌味っぽい声”は母に多くあるな。

 

 

 

 

義両親はゆっくり話す。

 

そして声の調子が基本的に変わらない。

 

義母なんて普段もゆっくりめで可愛い声なのに、喜んだりするとさらにゆっくりになるのすごい。

 

テンションあがるとまくし立てちゃうタイプの私と正反対だ。

 

叱るときも嗜めるようにゆっくり話す。

 

少しうざいくらいの「ダメだよう」というのでも、きちんと効果はある。

 

「ダメ!」とぴしゃりと言うよりずっといいこともある。

 

 

 

 

 

そういえば冷たい人に見られがちな人は猫なで声で、媚びてると自分で感じるくらいの話し方をした方がいいそうだ。

 

実際冷たい言い方になる人の精一杯の媚びは、たいして媚びてないから安心して実践してみて欲しい。

 

 

・・と、いうのを今思い出した。優しい人間と思われたいぃぃ。

 

そんな義両親(夫も)の弱いところ。

義理ながら、本当にいい人たちと思うし、夫も2人に似ている。

 

そんな家族の欠点と言いますか、なんといいますか。

 

それは「まわりの人間をダメにするところ」。

 

 

なんでも許してしまう人達なので、ダメな人間に対しても「ええよええよ!」と受け入れてくれる。

 

その結果。

 

ダメな人間はつけあがる。

 

もしくは成長しない。

 

 

かくいう私も「夫は許してくれる」と思ってやりすぎた過去がある(いや今もか)。

 

でもそのとき「いかん、これ他の人にやったら絶対怒られるやつだ。調子に乗りすぎた」と思った。

 

優しさに甘えすぎるワガママになる。贅沢になる。

 

 

夫の優しさに触れて自分の至らなさを思い知ることは何度もあったけど、この優しさに気付けない人の方が多く、夫は損してないのかなとも思う。

 

本人に聞くとまぁ損してるっちゃ損してるけど、「許してあげる代わりに俺ができなかったときは許してねと思ってるからいい」んだそうだ。

 

 

義父は特に「相手を変えることはできないからね」というふうに理解しているようだけど、義母はそこまでは思いきれないらしくたまに疲れている。

 

なんでも全部が全部いいわけではないのだけど、義両親のいいところはがんばって真似て、子どもにいい影響が与えられたらいいなと思うのでした。

 

 

 

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