考えたくないが考えなくてはいけないこと
死ぬほど考えたくないが考えないといけない。
私にとってこういうことも子どもを増やしたくない
ひとつの要因だったと以前書いた。
自分自身が性被害に遭う確率だけでなく
3人の確率を(夫だってあり得るが)この身に受けるのだ。
今だって幼い子や若い子の痛ましい事件を耳にすると
他人の子にも関わらず胸が張り裂けそうになるのに。
こういう対応について以前考えたことがある。
雑誌だっただろうか、コメンテーターの三浦瑠麗さんが
自身が中学3年で性被害に遭ったときの記事を読んだ。
私はこの方を好きでもなかったけどその記事を読んで
今まで出会ったことのなかった核心をついた論調に
感銘を受けたことを覚えている。
(その後いろいろ事件があってやっぱりかという
気持ちもあったけど)
彼女の本で話題になっただろうから
今さらだろうが。
ここをすごく覚えている。
自分の大切な人がそれを打ち明けてくれたとき
こういった反応だけはしないようにと強く思った。

三浦さんは性的被害を受けた人たちが苦しむ重要な理由の一つに
被害者に責任を求める議論、いわゆる「落ち度論」が
あることにも言及しています。
続けて心に残っているのは
そのときの三浦さんの元夫の言葉。
まぁ数年前に業務上横領の罪で逮捕されてる旦那さんですけど。
東大を出て外務省、マッキンゼーを経て起業している
超絶エリートの三浦瑠麗さんの元夫です。

なるほど東大出身者同士、言葉が難しい。
帰責性とは字のごとし「責めに帰すべき事由」です。
因果関係は「ある事象(原因)が別の事象(結果)を
引き起こす関係」のこと。
これについては以前 部活のセクハラの件でも
書きました。よろしければどうぞ。
https://underlifewear.info/other/bukatsu-sekuhara/
三浦さんは性被害について
「つらさの継承ではなくつらさの克服や愛の継承が
必要なのではないでしょうか。
最終的に幸せになっていくんだよ、という人生観を届けたい(要約)」
と語っています。
ここで改めて最初の記事を。

反吐がでるとはこのことである。
こういう行為は多くの女性がうっすらと
覚えがあると思うから痛ましいことだな…。
親としては、親以外の大人から受け入れられ
言葉をかけてもらうという経験をしてほしいと思っている。
思っているが、よ。
ほんと嫌だよね。
信頼している学校の先生や送迎も大変なのに
子のためを思って習わせた習い事でこんなことが起こるなんて。


わかっていても難しい。
子どもも改まって話すよりなにげなく話し出す
パターンが多いので普段の会話から注意するようにと。
私なら「え…?ちょっと待ってそれどういうこと?」とか
聞き出そうとしそう…ホントやりそうだから気をつけないとな~。
上の女の子は多感だし大人の言葉に影響を受けやすい気が
するから注意しないといけないし
真ん中の男の子は話すのがそんなに得意じゃない&
根掘り葉掘り聞かれるのが鬱陶しいタイプだから
せっかく話そうとしてくれたのに落ち着いて聞いてあげないと
だし…
うわぁぁぁ~~~ ~~~^^) _旦~~

警察というと緊張するけどこういうところが
あると知っているだけでもなんとなく気持ちが違うかも。
もしものときこうする、という心構えは大事だよね。
私イレギュラーに弱いし。
ちなみに昨日から真ん中が“学校に行きたくない病”を
患ってしまい心構えとか偉そうに書いて
ちょっと恥ずかしいというかなんというか。
担任の先生も優しいんだよね。
こういう対処の勉強もされてるんだろうと見受けられて
本当に尊敬するしありがたい。
…はぁ( ˘ω˘ )
おわり。